左右という意味のないカテゴライズ

界隈では有名なアカウントで、指摘も的確なものが多いという印象だが、常に人を見下したような、揶揄したような発言が多くあまり好みではない

自民党=保守という盛大な勘違い

自民党を保守という人が多い。

しかし現実やっていることは極左に近く、売国政策ばかりだ。

「とりあえずビール」のような感覚で「とりあえず自民党」と投票している層もいるかもしれない。

無関心はいずれ国を滅ぼす。
支配層がそれを望んでいるので、抗い難いのかもしれないが。

支配層に逆らえばネガティブキャンペーン

さて、Xの引用で取り上げられているフランスの政党の政策を少し見たことがある。
至極保守的でまともだ。グローバリズム政策が行き過ぎている昨今ではこのくらいが適正な加減であろうと考察する。
海外の情報なのでざっと見た程度だが筆者は反グローバリズムであると見た。

一方マクロンは少し調べればすぐ分かることだが支配層の傀儡で町を歩けば卵を投げつけられるくらい嫌われている。
ルペン率いる国民連合はグローバリストの敵対勢力ということで極右のレッテルを貼られ、常にネガティブキャンペーンを展開されている。

マリーヌ・ル・ペン – Wikipedia

極右極左と言っておけば人は敬遠するのが心理だからだ。

移民排斥、自国第一主義という主張をざっくりと極右と呼んでいる。

ヨーロッパはすでに移民政策で大混乱をしており、難民などの受け入れは良いとしてもおかしな勢力を国内に引き入れるリスクもあり、やりすぎれば返って国家に混乱をもたらす。

自国第一主義も、他国に利益を流してばかりいるのでそれをやめようと言う流れだ。

極端に切り取ってレッテルを貼りネガティブキャンペーンをする。
邪悪な支配メディアの常套手段である。

言われていたことをそのまま鵜呑みにしていると、何も見えてこない。

左右というカテゴライズからの脱却

最後にタイトルについて触れる。

右だ左だといって市民同士で分断されることは、支配層の望んでいることであり、市井が常に争っていてくれれば本当の敵を見ることはできず支配がしやすいからだ。

もはや右左というカテゴライズは、意味を成さないのである。

SNSで展開されているコイツは右、コイツは左のようなやり取りを飽きるほど見かけるが、そんなものは低レベルな争いでしかない。
こういうやり取りを見て「もっと争え」とほくそ笑んでいる層がいる。

安直なレッテル貼りやカテゴライズからは卒業して、自分たちが争っていると特をするのは誰なのか、民が幸せに暮らすためにはどうすべきか?を考えていかなければならない。